11/17(土)~18(日)出発からウシュアイアまで


出発のときはれなっち、飯村さん、山中さんが成田空港まで見送りに来てくれた。飯村さんの車で空港まで送ってもらい16時到着。すぐにチェックインを済ませ荷物を預けてしまう。ダラスでの荷物はピックアップは不要でブエノスアイレスで受け取るとのこと。ダラスの乗り換え時間は4時間程度で、そんなにゆとりがあるわけでもないので少しでもダラスでやることが少ないとありがたい。一方でダラスで荷物の存在確認をしないのは不安でもあるのだが。
 
うどんとそばのお店で食事しながらGPSロガーのセットアップをおこなうがドライバとアプリケーションを入れてもパソコンがGPSロガーを認識してくれない。これはウシュアイアから南極に向かう過程や現地での正確な場所を後から振り返るためにログを取ってみようという試みだ。うまくできなかったが電源さえ入れればログは取るようなので現地では時々電源を入れてみて帰ってからのお楽しみにしよう。
 
今回も相変わらずだがレースそのものよりもウシュアイアまで無事にたどり着けるかが最も心配。特にブエノスアイレスで国際線の着くエセイサ空港から国内線のアエロパルケへ空港の移動があるところ。私は英語はほんの少し(観光や買い物などで少し支障あるけれどなんとか用事は済ませられるレベル)しかできないし、アルゼンチンの公用語であるスペイン語はまったくわからない。砂漠レースをおこなう過程でせめて英語はもっとわかるようになりたいと思ってはきたのだが、これまではレースで走る力をつけることを優先にして英語の勉強はしていない。今回のレースが終わったら、もっと自由に旅ができるように勉強したい。
 
そして今回は初めての1人出国であることが不安を増やしている。今までは同じレースに出場する人と行動を共にすることが多かったが、旅の行程でも毎回自分に課題を与えるようにしていてレースが終わった後は1人で旅をして帰ってきたりなど、少しずつ単独行動を増やしてきた(レベル低くてすみません)。私にとって砂漠レースのチャレンジはレースという意味、旅という意味の2つがあって、このバランスが自分を成長させてくれるとも感じている。レースだけをこなせばよいのなら走ること自体は手馴れたものなので、常に誰かについていってレースだけに集中すれば、もっと緊張感は少ないだろうし、それでは自分の視野も行動も広がらず得られる経験は少ないだろうと思う。
 
ダラスへのフライトは11時間程度。19時10分発だが飛行機は空港内をうろうろと移動し続けるばかりでなかなか飛ばない。天候が悪く前線通過で雨も強いので飛ぶタイミングを計っているのだろう。約1時間遅れ20時過ぎに離陸した。出発前1週間くらいは睡眠時間少なめだったため良く眠れた。おかげで暇をもてあますこともなくしっかり起きていたのはダラスに到着する前の2~3時間くらい。到着は16時過ぎになる見込みで出発の遅れ1時間がそのまま到着の遅れになった形だ。これによりダラスでの乗り換えは3時間と少し不安が増す。
 
空港で入国カードを書いていると「ESTAで入国か?ならばカードの記入は必要ない」と言われ、入国審査の一番後ろに並ぶ。入国審査は大混雑していて進み具合をざっと見て少なくとも30分以上はかかりそうだ。途中で日本人の職員が「乗り継ぎ時間が迫っている人いませんかー!」と言いながらまわってきたが入国審査通過見込みは17時30分で次の便の搭乗が19時ごろなので、おそらく迫っているというほどではないだろう。また職員の人に税関申告書をチェックされ、サインのところにアルファベットで記入されているのを「これはあなたのサインではありません。漢字で書いておいてください」と指摘された。
 
入国審査通過後はすんなりと再度出国して次のフライトの搭乗ゲートまで行けた。ネット接続できたので今のところ順調とメッセージ発信。ここまではどう考えても順調にいって当然なのではあるが。時間通りにブエノスアイレス行きの飛行機は出発し今度は10時間30分の空の旅。3時間前まで11時間も飛行機の乗っていたし睡眠もしっかり取れたので、次は相当暇を持て余すと思ったが時々目を覚ますものの意外と眠れる。ダラスとブエノスアイレスの時差は3時間なのでわりと普通に朝を迎える。チリのサンチャゴの少し北で窓の外が明るくなり飛行機は東へ進路を変えアンデス山脈を越えてブエノスアイレスを目指す。海上では薄い雲で真っ白だったが少しずつ山がせり上がってきて雲の中から頭を出すようになった。少しして完全に山岳地帯になると乾燥しているためか雲もなくなる。
 
ブエノスアイレスのエセイサ空港に8時30分到着。飛行機を降りると半袖シャツで暖かく感じるくらい。こちらは夏なので暑いかと思っていたが朝のためか暑くは感じない。飛行機で眠りすぎてかえって疲れている感じ。エスカレータで入国審査のフロアに下りていくと、またも大混雑でフロアが人でいっぱい。エスカレータで降りた場所に人が詰まってしまいエスカレータは緊急停止した。ここでも長い列の最後尾で待つ状態になったが12時くらいにアエロパルケ空港に移動できればよいと思っているので時間には余裕がある。そういえば入国カードを書いていないがよいのだろうか?しかしフロアに用紙は置いていないし飛行機でも配られなかったためそのまま行くしかない。少し前に数人の日本人がいてアエロパルケからカラファテに行くようだ。声をかけて一緒にアエロパルケに行ったら楽かもと思ったが、旅自体が自分の課題でもあるので我慢する(笑)
 
空港の名前のエセイサ、アエロパルケは通称で正式名称は別にあるのだが、国際線のチケットに書かれた空港名の略称もエセイサになっているのでこれが事実上の正式名ではないかと思う。正式名称で書かれたものは何一つ見ていない。
 
入国審査はすんなり通過し、心配だった荷物もあっさり発見(ちょっと感動!)。税関申告書は書いてあったが見せることなく回収もされずだった。外へ出る手前の荷物検査の右側にあるアルゼンチン銀行の窓口に両替に行く。空港内にいくつか両替できる場所はあるのだがここが一番レートがいいらしい。南極後の観光の分も合わせて800ドル両替しようと思ったが、一度に両替できるのは500ドルまでだった。レートは1ドル4.75ペソで事前に調べた情報よりも(もちろん地球の歩き方の参考レートよりも)いいレートだった(あとからインフレで物価が上がっていることを知るのだが)。到着ロビーに出てからネット接続しようとするがフリーwifiは見つからず。空港タクシーのカウンターでアエロパルケまでのタクシーをお願いする。タクシー代は240ペソで事前に調べておいた値段よりもかなり上がっている。
 
タクシーは高速道路を走ってセントロあたりから一般道路。40分程度でアエロパルケ空港が見えてきた。ここまでかなり順調・・・と思ったら空港の周回道路のような場所に入る一時停止のような場所で1人の男性がタクシーを止める。運転手とにこやかに話をしたあと、こちらに変なステッカーを出してきて「$30」と書かれた紙を見せてお金を要求された。スペイン語でまったくわからないので「なんで払わないといけないんだよ」という態度で渋っていてもタクシーの運転手も何も言わない。空港のゲートでもないし明らかに正規に必要なものではなく、おそらく詐欺なのだがタクシーの運転手までぐるではどうしようもないので、30ペソ出すと「30ドルだ」と言われる。30ドルくらいでことがすんなり運ぶならまあいいかと支払ってしまう。こういう日本人がいるから舐められるんだよなー。ちなみに空港タクシーは空港オフィシャルのタクシー(流しの一般タクシーと違う)で運転手とお金のやり取りをしないので安全と言われている。
 
アエロパルケは国内線の空港と思っていたが、国際線も発着していて国内線と国際線のチェックインカウンターがあった。アルゼンチン航空の預け荷物の制限重量は15kgでそれ以上は超過料金が必要で事前に調べておいた金額は140ペソだった。しかし荷物をカウンターに預けたら重量は21.5kgと表示されているのに追加料金を請求されずに預けることができてしまった。空港の2階に出発ロビーとフードコートなどのお店がある。フリーwifiは見つからなかったが
フードコートで一番強い電波に予想したパスワードを入力したら接続できてしまった。エンパナーダ3つとコーラのセット(42ペソ)で昼食にする。
 
ウシュアイアへのフライトも時間通り。出発ロビーでエセイサ空港の入国審査で見た日本人を見かけた。さすがに今度のフライトでは寝て過ごすのは無理だろうと思っていたため離陸後に本を読み始めるがすぐに眠くなってきた。ふと目を覚ますとテーブルに機内食(短い時間なので軽食)が出されていて、食べ物・飲み物が回ってきているのに気がつかないほど熟睡できたことに呆れる。3時間30分のフライトでウシュアイアに到着。乗客みんなで拍手!リゾート地に到着する飛行機だと拍手するのかな?空港の到着ロビーに出るときに簡単に荷物検査があった。アルゼンチンも植物の種や肉類の持込が厳しいようだ(国内線だけど)。
 
ウシュアイアの空港を出るとさすがに寒い。そして景色がすごい。海のすぐそばに切り立った山がそびえ中腹から上は雪で真っ白。実は山の標高は1000mちょっとしかないのだが、緯度が高いため高山のような環境になっている。タクシーに乗って「上野山荘ってわかる?」と聞いてもわからないっぽかったが住所を見せるとすぐに理解してもらえた。上野山荘の目の前まで連れて行ってもらってタクシー代は62.5ペソ。やっぱり物価上がっているよなあ。
 
上野山荘は日本人専用宿で、まだ混雑するシーズンの前のため宿泊者は自分含めて4人しかいない。ドミトリーで1泊55ペソか10ドル。両替レートは1ドル4.75ペソだからドル支払いのほうがお得だ。宿にはキッチンとお風呂がついていて五右衛門風呂っぽい雰囲気のドラム缶の湯船がありお湯を溜めて浸かることができる。宿は居心地良くやっぱり日本人宿って安心だなーと思う。宿主さんから他の南極レース出場者が到着する予定の11/20はゼネラルストライキが予定されていて、おそらく飛行機が飛ばないので翌日の振り替え便か、もしかしたらレース集合の11/22の午前中のフライトで到着して南極に出発するようになるかもしれないと聞く。
 
夜は22時ごろ暗くなり朝は6時くらいには明るくなる。お店は近所の小さい商店も10分ほど歩く大きいスーパーに22時まで営業されているので何時からが深夜なのかよくわからない。宿は24時から朝10時までは静かにというルールなので、日付か変わると夜遅い時間ということだろう。翌日の行動の準備をしていると一眼レフカメラが起動しなくなっていることに気がつく。出発前からSDカードを認識しないことがあり気になってはいたのだが、このタイミングで壊れるとは。何度もSDカードを抜き差しして起動を試みるがまったく起動しない。南極の写真を撮るために買った一眼レフだけに非常に残念だがコンパクトデジカメがあるから潔くあきらめるか・・・。
 
同宿の人たちと今までの旅や今後のルートの話をする。南極レースの話をしたら「ウシュアイアまで来る人は濃い人が多いよね」という話になった。ブエノスアイレスまではたくさんの旅人が来るけれど、そこから南はだんだん濃い人が抽出されてウシュアイアには最も濃い人が集まるという。自分は長期間単独で旅するようなバックパッカーにはかなわないけれど濃い人の端のほうに認定されるのなら少し嬉しい。
 
ウシュアイアに来るまで飛行機で寝てばかりいたが夜は普通に眠れた。疲れているのかな。
 

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