Desert Marathon

砂漠マラソンとは

砂漠マラソンは地球上のさまざまな場所でおこなわれています。最も歴史のあるレースはモロッコで開催される 「Marathon Des Sables」で 日本ではサハラマラソンとして知られています。 最近ではレーシング・ザ・プラネットが運営する「4 Deserts」シリーズも よく知られるようになってきています。

多くのレースは砂漠マラソンの先がけになった「Marathon Des Sables」と同じスタイルでおこなわれます。 競技者は1週間分の食料・衣類・必要な装備を背負ってレースをおこないます。水だけは10kmに1か所程度のチェックポイントとキャンプ地で支給されます。 毎日のゴールであるキャンプ地には現地スタッフがテントを用意してくれています。 距離は1日40km程度で1日だけオーバーナイトと言われる100km近いロングステージがあります。 オーバーナイトステージではトップ選手以外は深夜から翌朝にかけてゴールします。7日間6ステージで約250km走ります。

レースと旅のレポート

namibia

<2017年3月>6633 Arctic Ultra。カナダ北部、イーグルプレインズからツゥクトヤクツゥク(北極海)まで566kmのレース

レース後半のアイスロードを歩きたいというモチベーションでの出場。1度で完走し経験値を増やしてYukon Arctic Ultraに戻りたい考え。

namibia

<2016年5月>ナミブ砂漠(ナミビア)でおこなわれるレース。

2009年にリタイアしたサハラレースが政情不安定でエジプト→ヨルダン→ナミビアと開催地を移転してきたレース。これを完走すると4Desertsシリーズ完了となる。 もともとの2009年が順位狙いで出場していたので初志貫徹で順位狙いで行こうと考え中。

yukon arctic ultra

<2016年2月>Yukon Arctic Ultra。前回リタイアしたレースに再挑戦。ホワイトホースからペリー・クロッシングまでの約500kmを8日間で走破する。

430マイルの部は2年に1度のため2016年は300マイルが最長距離。前年の下見、本番、リタイア後の現地練習と経験を積み今回どこまで進むことができるのか挑む。 結果、308kmでつま先の出血によりドクターストップとなってしまった。

yukon arctic ultra

<2015年2月>Yukon Arctic Ultra。カナダのユーコン準州でおこなわれるレース。ホワイトホースからドーソン・シティまでの約700kmを13日間で走破する。

砂漠レースではないけれどひとまずここに。南極のあとレースからは離れていたが、オーロラを見に行こうという話から脱線して出場することになった。 最低気温マイナス40℃以下に対応できなければいけない極地レース。【NHK-BS1】GREAT RACE「世界で最も寒く過酷なレース カナダ・ユーコン700km」で放送。

antarctica

<2012年11月>南極でおこなわれたレース。

砂漠レース最終戦。今度こそ走ることには一区切りつけて引退と思って走ったレース。最後の締めとして入賞目標(男子3位で盾をもらった♪)。観光も日程に十分なゆとりを持たせウシュアイア、カラファテ、チェルテン、ブエノスアイレスと大きな旅になった。

gobi

<2011年6月>ゴビ砂漠(中国)でおこなわれたレース。

完全に南極出場権を取るためだけに出場してしまったレース。アタカマから3か月しか空いていないため装備はアタカマとまったく同じ、 観光や新たな取り組みもなくただ完走を取りに行っただけになってしまった。最高気温53度と最も暑さに苦しめられたレースでもあった。

atacama

<2011年3月>アタカマ砂漠(チリ)でおこなわれたレース。

2012年南極の出場権を強く意識し順位よりも安全重視のレース。2012年南極を実現するために会社を退職し、レース中に東日本大震災が発生と大きな出来事が重なったレースになった。 またイースター島に1週間滞在、飛行機の乗り継ぎでサンチャゴ空港のベンチ泊と観光も少し攻めてみた。【NHK-BSプレミアム】「密着!アタカマ砂漠マラソン」で放送。

sahara

<2009年10月>サハラ砂漠(エジプト)でおこなわれたレース。

順位を狙いに行ったレースだったが、2日目のスタートから体調が悪くリタイア。翌日からランク外で復帰しコースを楽しむことはできた。スケジュールに余裕を持たせ、カイロの街を歩き回ったり、ピラミッドを見に行ったり、観光も楽しむことができた。

mds

<2007年3月>サハラ砂漠(モロッコ)でおこなわれたレース。

初めての海外旅行。趣味でマラソンを走っていた証として最後のチャレンジとして取り組んだが、走るということ以上に多くの刺激を得ることができた。新たに「海外」という視点ができた重要な出来事。