8/31(木)PTLリタイア記

 

PTLですが、8/31の8:30ごろコースの121km:Cabane Plan du Jeuでリタイアとなりました。自分のGPSでは141km前進(ミスコースはしていないので主催者のGPSトラックのコースは少し短く出ていると思われる)。直接の原因は天候悪化(低温・雪)が予想されたため最後尾グループの次区間の閉鎖です。それがなくてもチームのペース・睡眠不足で「まだ可能性はゼロではない」程度ではありました。
今回のチームの力ではPTLに要求されるものには少し届かなかったというだけなので、個人的にはすごく悔しいというほどではなく「ちょっとと届かなかった」という事実がそこにあるだけなのですが、チームリーダーのポーリンは超悔しがっています。もちろん「1周したかったー!」というのはあるし、詰みつつある中でも時々「このまま行けるかも」と感じることがあったので残念でした。
★レース展開
1日目は夕方あたりが非常に暑く、思ったよりも水を補給できるタイミングが少ない印象で私が少しペースダウン気味でした。寝ないと回復しないとか食べれないということはなく、時折「ちょっと待って」というくらいに留められたのは幸いでした。序盤からけっこう関門がきつく睡眠時間はskirocで1時間程度でした。(今回のレースはろくに寝ていないのでどこまでが1日かあいまいです)
2日目はたけぷーが体調不良。朝から嘔吐を繰り返しだましだまし進んでいる感じです。3日目の11時の関門に間に合うかを逆算しながら進みます。途中落石の多い区間がキャンセルになり代替コース(距離は延びるが危険は少なくなる)になりました。ほんとうに危険そうで天気がいいのに代替コースにするなら、そんなの最初からわかっていただろと思いましたが(笑)
夜に入って66km:Cabane d’Ornyで回復しなくたけぷーがリタイアを決断。がっつり寝れば回復できるようでしたが、関門からの逆算でどうやら今夜もまともに寝る時間はないとなったタイミングでの判断でした。非常に残念&たけぷーのナビがなくなるのは痛いですが、まずは次の関門を超えることを優先して切り離します(標高2800mくらいの山小屋に置き去りw)。PTLは3人チームなら残り2人でもレースを続けることができるルールです。
関門まで残り13時間で99km:Bourg Saint Pierreまで進む必要がありオフトレイル(道のないところをナビして進む)も多く含まれる区間です。これまでの実績を考えるとすでに相当厳しい。たけぷーの判断でも「すでに次の関門へのアタックはギャンブル」だったので、下り平地はしっかり走り巻き返しを狙います。関門に間に合わなければどちらにしろ終わりなので、次の関門がフィニッシュというくらいの気持ちで。結果はオフトレイルが岩ごろごろではなくちょっとしたブッシュと牧草地で意外と楽だったので、関門の50分前に到着することができました。この関門では睡眠を終えて出発する日本女性チーム「なでしこJAPON」と会うことができました。
ただ関門は出発関門なので50分でドロップバックから補給装備を取り出し出発しなければいけません。装備の入れ替えとカップラーメンを食べてすぐに出発。実際は出発の体裁を取っただけで道路沿いにカフェ(兼ガソリンスタンド)を見つけてそこで再度荷物を広げて整理して水を補給して再出発しました。ただしぎりぎりで抜けているので次の区間も睡眠はとれそうにありません(笑)
3日目の夕方で周辺にいた最後尾グループはみんなリタイアしてしまい(あとは前の関門で引っかかって)スイーパーが後ろに着きました。夜になって雷雨の中を歩き115km:Cabane de Velanに最後尾で到着すると前の集団が睡眠中で、「なでしこJAPON」が出発するところでした。この前の山小屋で食事をしてから来たので、ここではあまり停止するつもりはありませんでしたが、スタッフが次の区間はナビが難しく睡眠中の数チームが、23時に出発するのでタイミングを合わせて出たらどうかと提案してくれたので軽く食べて20分だけ睡眠してタイミングを合わせて出発します。
Cabane de Velanから登って稜線を超えて山の反対側に降りるコースですが、出だしから岩がごろごろで道がわからない。反対側に降り始めてからが難しいのに稜線に着くまでで前後のチームとは完全に分かれてしまい、けっきょく核心部は自分たちだけで進まなければいけませんでした。昼間だとかなり印象が違うと思いますが夜だとどこを歩けばよいかまったくわからず、コースにはケルン(といっても石3つ4つのミニケルン)があるのでそれを探して進みます。しかも2人同時に動くと次のケルンが見つからないときにどこから来たのかわからなくなってしまうので、ポーリンが前でケルンを見つけるまでは私が1つ手前のケルンで待機し、GPSを見てポーリンの方角がずれてきたら「もう少し右だと思う」とか声やライトで伝えて進むという感じでパズルのようでした。
強風低温の中3000m程度の山を越えて、121km:Cabane Plan du Jeuに6時ごろ到着。ここの下りもトレイルがなく、さらに眠気が出たこともありルートがたびたびずれたので、GPSを見ながらトラバースしてたびたび方角をで補正していました。そんなこともあって大会側の目安タイム(2時間50分)を2倍以上に超過してしまいました。あまりにも眠かったので一度Cabane Plan du Jeuの小屋に入り少し仮眠することにしました。1時間半くらい睡眠して、8時15分にスタッフに起こしてもらい8時30分に出発する予定にしました。同じタイミングで韓国人チームも出発しようとしていて2チームで最後尾。スタッフが本部に最後尾チームが出発すると連絡をしたところ本部ではこのグループは次の区間には入れないと判断をしたようで気象条件が悪くなっているので行かないでほしいということでレースは終了しました。なお韓国人チームは自己責任で行ってしまい本部は怒っているようです。
★まとめ
PTLが非常に厳しいのはわかっていましたが、あと少し制限時間に余裕があれば今回のチームでも行けたと思いますが、チームにとってあまりにぎりぎりのパフォーマンスを出す必要があったため持たなかったという印象です。たとえば調子に波のないポーリンのようなタイプを揃えてチームを組めば、トップスピードは遅くても落ち込みの時間が少なく睡眠時間を取れたかもしれません。また私のように調子に波があってもいざというときのスピードがあれば、調子の悪い時間帯を短かくできれば行けたと思います。ポーリンはほんとうに悔しがっているのでぜひPTLのリストバンドを付けたまま1年過ごしていただき来年も挑戦してほしいです。

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