第30回富士登山駅伝
2005/08/07(日)
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■富士登山駅伝とは
御殿場市陸上競技場から富士山山頂までの往復(距離46.97km、標高差3199m)を6人の走者で つなぐ駅伝大会。各走者は登りと下りの2回走る。(山頂は7合五勺から山頂までの往復の1区間) 1区から3区までは舗装道路、4区から6区(山頂区)は登山道を進む。 制限時間は5時間でスタートから4時間後の12時までに下りの太郎坊(10区ゴール)に 到着できなかったチームは繰り上げスタートとなる。 5区、6区の選手はレース以前にスタート地点まで自力で登らなければならず、 またレースが終わったら自力で下山しなければならない。 そのため6区の選手は前日に7合5勺付近の山小屋に宿泊することが義務付けられている。
■参加チーム
富士登山駅伝は今年から「一般の部(A部門)」「自衛隊の部(B部門)」の2グループに 分かれて表彰されるようになった。現役自衛官が1名でも含まれるチームは「自衛隊の部」に なるらしい。一般の部の参加チームは80チーム、自衛隊の部の参加チームは37チームだった。 自衛隊はこの大会にかなり力を入れているのか全国いろいろなところから集まってきている。 また一般の部も箱根駅伝に出てくるような大学チームが来ていて参加チームのレベルはかなり高い。
■Team白樺
チームの特徴は「山に強いチーム」。オリエンテーリングチームなので下の舗装道路区間は 多くの陸上競技系チームにはどうしても見劣りしてしまう。しかし、山で大きく順位を上げる だけの実力と実績は持っているので舗装道路区間では順位は気にしない方向。 今回の目標はタイム4時間30分以内、順位43位(ゼッケンNo.)以内ということになった。 最低クリアするべき目標としては4時間40分という数字がポイントになる。 4時間40分以内のタイムで完走したチームは次の年の大会に優先的に出場できる権利が与えられるためだ。
■8月6日(土)
朝9時前に御殿場駅前に集合した。顔を合わせた後は3グループ 「開会式に出席しタスキを受け取ってくるグループ」「早めに試走に出かけるグループ」 そして「山頂区を走る選手とサポーター」に分かれて行動する。 山頂区の選手は前日のうちに富士山を登り山小屋に宿泊する。 選手1人で荷物を背負って富士山に登り、山小屋で一晩過ごすのは あまりに酷なのでTeam白樺では山頂区にサポーターを1名配置することになっていた。 レース当日はそのほかに3人のサポーターが各中継所に待機し選手のサポートをおこなう。
開会式には選手3名で行くことになった。10時から新橋浅間神社で大会安全祈願(神事)がおこなわれ、 その後、神社の中庭のようなところで開会式がおこなわれる。レースで使用するタスキは開会式のときに 渡される。10時には神社に到着していたが建物の中でいつの間にか安全祈願が始まっていて最後のほうで ちょっとだけしか参加できなかった。開会式では各チーム1名ずつ出て整列してタスキを受け取る。 今回の第一走者ということで自分がタスキを受け取ることになった。開会式の後、ホテル御殿場館21で カーボパーティーに参加。
午後は一度宿泊先である保土沢園にチェックインしてからコースの試走に行くことになった。 しかし、自分は市街地の1区なので「試走してもつまらないから」ということで、山の区間の 選手と一緒に山へ行くことにした。1区(自分)、3区、4区、5区のメンバーで車に乗り太郎坊へ行く。 そこから5区の中継所まで、つまり4区の試走をおこなった。自分は途中からきつくなったので 早めに走ることをあきらめ早歩きでついていった。試走を終えて太郎坊に戻るとOLKの1区の 選手がいた。1区を試走しても面白くないから山へ来たのだそうだ。やっぱり考えることは同じだが これでは試走にならない。ただの遊び(山登り)だ。
宿で夕食のあとレースのための打ち合わせをおこなう。OLKの選手団がこちらに顔見せに やってくるというのでトランプをしながら待つ。OLKは東京大学のオリエンテーリングチームの OBなのだそうだ。明日のレースではどの中継所にも必ずどちらかのチームのサポーターがいて 協力しあうことになっている。準備を終了してから早め(10時ごろだったかな)に就寝。
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