アタカマ・クロッシング
2011/03/12(土)
Stage6 Final Footsteps to San Pedro(9.3km、48'57、2位、総合9位)
ステージ5(2日目=お休み)へ サンチャゴで砂漠お疲れ様会へ
朝はのんびり起床。今日はスタートがこれまでの成績で30人くらいずつ3グループに分けられて時間差スタートする。 9時半、10時半、11時のスタートで速い人ほど遅い時間にスタートする。自分は11時スタートのためゆっくり準備ができる。 朝食はいつもよりも少し多めに食べて背負う荷物を少しでも少なく。昨日採取したお土産の砂も少し村上さんにあげて 残ったうちの3分の1くらいを持ち帰り用にし後は捨てる。
最終日を残して自分は総合9位。しかし10位のアシュカンが3分半しか離れていない。追ってくることは間違いない。 今日のレースをどのように運ぶか考えてアシュカンの後ろについて離されないように走るのが一番の安全策と思えたが もうここまできたら自分の全力でアタックしてそれでダメなら仕方ないという考えでいくことにする。 そもそも9位なんて守るほどの順位ではないし。
9時半グループのスタートを見送る。このグループでは岩瀬さんが一番最初にゴールのピザを食べようと先行グループ1位を目指している。 スタートと同時に岩瀬さんらしからぬペースで飛び出して行く(しかしスタート地点から見えなくなった途端歩いてしまい野望は達成できなかった)。 第一グループを見送った後で同じテントで1週間過ごした選手達と記念撮影。 自分のテントはみんな速いので大部分が11時スタートで2人だけ10時半スタートになる。 10時半スタートの宍戸さんとMay(選手の岡部さん)を見送る。2人はゆっくり後ろのほうからスタートしていった。
最後に自分の準備。荷物を用意してからアシュカンに見られないように山の陰でアップとストレッチをおこなう。 今までのステージでは自分の体調とペースを維持することだけ考えていたが今日だけは相手がある。 最終ステージ9.3kmで実力の近いランナー同士で3分半の差は普通に考えれば決定的だが・・・。 スタート地点に集合すると取材スタッフからスタート前の意気込みのコメントを求められた。 申し訳ないけれど「今日はノーコメントで」とお願いする。話をしている場合ではなく限界まで追い込むための集中力を作らなければいけない。
スタート直後先頭集団に飛び出す。1位のアンダースと、もう1人の選手(誰か覚えていない)と、自分の3人の集団。 最初から呼吸が苦しい状態になり「どこまでいける?」という状況に。最終日はほぼ平坦と思っていたらちょっとした山の斜面を登ったり ウェーブになったトレイルで意外と厳しい。もう1人の選手は最初の登りで脱落。アンダースを少し前に見ながら走る。 後ろから取材スタッフのコマケンさんが撮影しながら追い抜いていった。続いて総合3位のダレンが前に出る。
中盤でアンダースは遥か彼方。かろうじてダレンには着いて行っていると言えなくもない差を保っているがダレンはもう順位が確定していて がんばる必要がないのか、ときどきこちらを振り返ったり、先にスタートしたグループの選手を追い抜きながら声をかけたりしている。 サン・ペドロ・デ・アタカマの街に入りようやくちょっと安心な感じになる。今すぐアシュカンが抜かしていっても ここから3分半差をひっくり返すのは不可能。それでも最高の充実感を得るためには自分の力は出し切らなくてはと思い ペースは緩めずに走り続ける。
ダレンがペースを緩めたので追いついて並走になる。ダレンは自分と並走してゴールすることに決めたらしい。 前グループのMay、宍戸さん、村上さんを追い抜くと見覚えのある道になった。ゴールラインの教会まであと少し。 無事に2位でゴールすることができ、総合9位が確定した。でも総合9位よりも完走できたことが嬉しいというのが本音。 コーラやピザがたくさん用意されていて幸せだった。取材スタッフがゴールしたら着れるようにと、 預かっていてくれた民族衣装を持ってきてくれた。
それからレースで前後した選手。日本人選手、取材スタッフのみなさんとも記念写真を撮影する。 ゴールには日本人観光客も集まっていて「何かやってると思って見にきたら日本人が走ってきて感動した」と言ってくれた。 5〜6人ほどの日本人が集まっていたが、1つのグループではなくみんな1人旅のバックパッカーだそうだ。
あとからゴールしてきたアシュカンに「あなたは速かった」と祝福された。 自分が見て強いなと思う人に認めてもらえるととても嬉しい。それから「2009年のエジプトにも来ていただろ」と言われた。 自分は他の選手を覚えていないのだが、他の人はけっこう覚えているもんなんだなと思った。 次に会ったときにこちらから声かけれると最高なんだけど。
さっさとホテルでシャワー浴びたいと歩いてホテルに戻るとチェックイン可能なのは15時。約2時間待ちになってしまった。 ホテルのカギを受け取れたときに宍戸さん宛てのFAXがありました。奥様から宍戸さん宛て。「レースよくがんばりました」ということと 「南極のレースに参加してよし」ということが書かれていて宍戸さんは大喜びして「俺の宝物だ」とみんなに見せていました。 宍戸さんがゴールしたときに取材スタッフにインタビューされ、スタッフがうるうるしていたので「なんでこんなに感動しているんだろう」 と思ったそうです。「彼、泣いてたよ、はっはっは!」と笑っていました。 しかし、このFAXは取材スタッフが間に入ってくれて仕掛けられたものだということで「そういうことだったのかー」となりました。 宍戸さんは今回のレースが終わって4Desertsシリーズは残り南極だけで完全制覇ですが南極だけはエントリー費が高額ということもあって 奥様から許可をもらえてなく、ずっと悩んでいて(奥様はもっと悩んでいたことと察しますが)たぶん事前取材でもその話はしていたと思うので 取材スタッフも感動したのでしょう。
待っている間に日本の地震の情報をネットで見ていたが、レース中に人から聞いて想像していたよりも遥かにまずそうな状態だった。 明日の朝6時にホテルロビーに待ち合わせしてバスでサン・ペドロ・デ・アタカマを出発するのでサマータイムがどうなったか ホテルのフロントに確認する。事前に得ている情報だとレース中の3月第二土曜日でサマータイムが終わっているはずだが ホテルの時計はまだサマータイムのままだった。3日前にサマータイムは4月上旬(2日か3日かくらいまで)に延びたらしい。 そんな適当でいいんだろうか?15時にチェックインして荷物の簡単な片付けとシャワー。
少し休むと取材スタッフからレース後のインタビューをしたいと声がかかる。部屋でインタビューするのかなと思っていたら 「車に乗ってください」と拉致される(笑)砂漠の景色をバックにインタビュー映像を撮りたいのだそうだ。 インタビューはプカラ遺跡の隣の丘の上でおこなった。カラマと繋がっている道路が近くてトラックやバスが来ると音が入ってしまうので たびたび中断。「砂漠レースをする理由を一言で言うと」とか難しい質問がいっぱいだったが岡部さんが質問の仕方を変えたり、 いい言葉を教えてくれたり助けてくれたので、それなりにまとまったと思います(笑) 最終ステージで全力で追い込んだので喉が痛くて声がかすれてしまいました。
ホテルに帰ってすぐに表彰パーティに出かける。なかなかだらだらする時間が取れないな。 パーティは日本の地震の犠牲者に対する黙祷から始まった。世界中の人が日本の地震のことを心配してくれている。 パーティでは肉料理中心に食べたが、時間が短かったのか終わったときにまだ物足りない感じが残ったまま。 何か買ってホテルに戻りたいと思ったがテイクアウトできるような店はすでに閉店していたので仕方なく何も買わずにホテルへ。 夜はレースを総括するインタビューの収録をする。帰る荷物をまとめて日本の地震の状況をネットで仕入れてから就寝。 6時にロビーに集合するので3時間程度しか寝れないかもしれない。荒井くんはホテルのロビーでネットしながら徹夜するようだった。

明日からはいよいよレースのメンバーと別れて旅行編が始まります。
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